石川内科外科クリニック | 新型コロナウイルス感染症について

新型コロナウイルス感染症について考える

石川内科外科クリニック  石川 哲大
広島学院 12期生 翠仁会 会長
≪2020年8 月 翠友会ニュース掲載≫

これまでの経緯と流行状況

2019年12月に中国の湖北省武漢市で発生した新型コロナウイルス(COVID-19)肺炎・感染症は、2020年に入って一気に地球規模の感染拡大となりました。10月24日時点で196の国と地域で感染者数は4200万人、死亡者数は114万人を越えており、感染爆発が抑えきれないアメリカ合衆国では感染者数は850万人ほど、死亡者数は22万人にのぼり、国を揺るがすほどの非常事態となっています。日本も他人ごとではなくなり、横浜港大黒ふ頭に接岸した巨大クルーズ船『ダイアモンド・プリンセス』で集団感染が発生し、のんびりと船旅を楽しもうとした乗客が閉じ込められる様子に何とも言えない重苦しさを感じました。4月16日には政府から『緊急事態宣言』が発令され、医療だけでなく経済や教育も含めて社会全体が凍りつきました。2002年のSARSや2009年の新型インフルエンザの時もひと騒動ありましたが、このCOVID-19は「何か得体の知れないもの」「人類の手に負えない病気ではないのか?」と思わせる独特の不気味さをもっています。

TV番組では、感染症専門の大学教授などがCOVID-19の解説をしますが、「このウイルスのことはまだよく判っていません」という注釈がついてしまいます。細菌は単細胞生物で栄養源があれば増殖しますが、ウイルスは生命の最小単位である細胞を持たず、遺伝子は有するものの自己増殖できないので≪非生物≫と言えます。しかし、ウイルスが宿主(ヒトや動物)の細胞に入り込んでコピーを作っては増殖し、遺伝子を増やすことから≪生物学的存在≫とも呼ばれます。生物か生物でないかもよく判らない、ましてや新型と呼ばれるウイルスなので、COVID-19に対する防御態勢や治療方針に確立したものがないのが当然のこととなります。ちなみに、ウイルスの語源はラテン語の virusですが、その意味は「毒液」というのですから、恐ろしくて厄介な病原体には違いありません。

「免疫」という未知
新型コロナウイルスの電子顕微鏡像(国立感染症研究所)

COVID-19感染症の特徴として、ウイルスが引き起こす免疫系統の過剰反応(サイトカイン・ストーム)が血栓症や多臓器不全を起こして全身状態を重篤化させることが挙げられています。この「免疫」というものについても、分らないことがたくさんあります。免疫学の黎明期は、1798年にE.ジェンナーが種痘(牛痘膿接種=ワクチン)により天然痘を予防した頃と考えられますが、雌牛をラテン語で Vacca というところから Vaccine =ワクチンという言葉が生まれています。それから狂犬病ワクチンで成功したL.パスツールの時代を経て、E.A.ベーリングがジフテリアの血清療法で1901年に第1回ノーベル生理学・医学賞を受賞します。同時期に活躍した北里柴三郎博士が抗破傷風抗体を発見してから約100年後の1987年、リンパ球のB細胞が自ら遺伝子を組み換えてあらゆる異物に対する無数の抗体を作ることを証明した利根川進教授がノーベル生理学・医学賞を受賞しました。「えっ? 細胞自体が遺伝子を組み換える?」 私は広島大学病院や県立広島病院で腎臓移植に携わっていましたので免疫学を多少はかじったつもりですが、これを聞いた時には心底驚きました。我々の体内のB細胞は、細菌やウイルスをはじめ身体に侵入してくるどんなものでも非自己と認識し、遺伝子を組み換えては100億超の抗体を作ることができるというのですから、不思議さを通り越して唖然としました。『ミクロの決死圏』を想像させるような免疫の領域では、遺伝子がまるで意志を持ったかのようにふるまって攻撃と防御を繰り広げており、人間の知能や科学の力をはるかに超える未知の世界が果てしなく拡がっていると言っても過言ではないでしょう。

生物は遺伝子に操られているのか

1976年に刊行された処女作『利己的な遺伝子』が世界的大ベストセラーとなり、生物学・遺伝学から世界観・人生観まで大変革をもたらしたR.ドーキンスは、「生物(人間)が自己複製子でないとすると、それはいったい何であろうか? 自己複製子(=遺伝子)にとっての共同の乗り物であるというのが、その答えだ」と述べました。つまり、生物の進化は個体の意志が反映されたものではなく(例えば、キリン自身が首を長くしたいと思ったのではなく…)、遺伝子が生き延びてゆくために仕組んだもの(例えば、遺伝子が高いところの葉っぱも食べられる首の長い動物=キリンを作って…)という考え方になります。そうすると、COVID-19の突然の出現や遺伝子配列変異種の発生なども遺伝子そのものが企んでいることのようであり、人間が行う防疫や治療はウイルス遺伝子にとっては〝児戯に類する″レベルかと思ってしまいます。『利己的な遺伝子』が「英国史上、最も影響力のある科学書」の第1位に選ばれ、40年間色褪せることなく生物学・遺伝学のなかで君臨するドーキンスの理論からすると、人間が地球上で生物・霊長類の頂点にいるという妄想は完全に捨てなければならないようです。

このように充分な解明に至っていない≪ウイルス学≫、≪免疫学≫、≪遺伝子学≫が複雑に絡むCOVID-19の病態は、医療界にとってはまさに「痛いところを突かれた」と言わざるを得ません。知見が乏しい分野の病気との闘いですから、医療現場は文字通り暗中模索状態です。

予見されていた不条理
カミュ著 『ペスト』

さて、今回のCOVID-19のパニックが始まってから、A.カミュの『ペスト』という小説が異例の売り上げを記録したことをお聞きになったと思います。ペストとは中世ヨーロッパの人口の3分の1の命を奪った「黒死病」とも呼ばれる恐怖の疫病です。『ペスト』では、アルジェリアのオランという港町を舞台にして、都市封鎖(ロックダウン)された中でのペスト菌との闘いが描かれているのですが、皆が我先に手に取って読んだ理由は、物語の内容がCOVID-19パンデミックの現状にあまりにも近いと感じられたからでしょうか。カミュの著作には疫病・戦争・天災などの【不条理】を冷静に見つめ、それに【反抗】してどのように生きるべきなのかを問う哲学が徹底して貫かれています。ネズミの体内にいるペスト菌が人間社会に入り込み、多くの人々の命を奪い経済システムも停止させる暗黒の日々(=【不条理】)、これまでの生活で正しいと思っていたものはいったい何だったのか、果てしない絶望の中で生きるということをどう考えれば良いのか…、そういう中でリウー医師やパヌルー神父、タルー青年などがあきらめずに連帯して病気に立ち向かい(=【反抗】)、極限状態を乗り越えて平穏を取り戻します。しかし、その終章は、「リウー(医師)は疫病に打ち勝ったと喜びに沸く群衆の知らないことを知っていた。ペスト菌は決して死ぬことも消滅することもなく忍耐強く待ち続ける。いつの日か人間に不幸と教えをもたらすために、ペストはネズミたちを目覚めさせ、幸福な町に送り込むのである」という言葉で締め括られています。『ペスト』は1947年に書かれたのですが、災厄は再び繰り返されるであろうと主張したカミュが何やらCOVID-19の【不条理】を見通していたかのような気がしてなりません。

困窮の中でもたらされた気付き

話を元に戻して、COVID-19に苛まれる日々の暮らしについて考えてみます。COVID-19感染症は検出検査に手間がかかり、有効な治療法がなく、重症化して死に至る場合もあるというのですから、不安と恐怖心を煽られるのも無理もないことです。社会全体の崩壊が心配されるなか、感染蔓延に対する防御が最優先課題となって、テレワークが推奨され、オンライン授業やリモート会議などなど、COVID-19がもたらした変化は膨大なものでした。そして、今後もまだ変化は続くのでしょう。

COVID-19の【不条理】に困窮した我々は、思ってもみなかった多くのことに気付かされました。感染拡大を防ぐために中止や延期など苦渋の決断を強いられたものはたくさんありますが、筆頭格は何といっても2020東京オリンピックの延期でしょう。国を挙げての一大事業も人命軽視では成り立たないということなのですが、あるいは巨額の資金がうごめく商業オリンピックに対する警告なのかも知れません。大会エンブレムの撤回、新国立競技場の設計案見直しなど失態が続いたことも考え合わせると、何かオリンピック自体を考え直せと言われているような気がしませんか。そして、プロ野球やJリーグ、さらには高校野球もない春を迎えて、観客がいないスポーツの味気なさや入場料収入が見込めないなかでの運営の厳しさをまざまざと見せつけられました。今後、スポーツが観客ありで元通りに再開できる状態になった時には、カープやサンフレッチェへの応援の仕方も変わってきて、勝利云々以前にスポーツそのものを楽しむ喜びを噛み締めているのではないかと想像します。飲食店やイベント会場では、お客さんが来てくれることは当たり前のことではなく有難いことなのだと思うようになり、感染予防について皆が共通の認識と行動を示すことが必要となりました。挙げればきりがないですが、ほとんどの業種で色々なものがリセットされ、目の前の仕事は本来どうあるべきだったのかという原点に引き戻されたわけです。オンライン授業やリモート会議のメリットとデメリットをじっくりと確認すれば、これからの教育や多種の職業のあるべき姿が見いだせるのではないでしょうか。

医療現場も崩壊の危機に陥り、感染症対策や緊急時の支援態勢がいかに脆弱だったかが露呈しました。マスクや手袋、防護ガウン、フェイスシールドが不足する状況下でCOVID-19感染症患者さんを受け入れる指定病院の医師・看護師さんたちは大きな不安を抱えながらの毎日だったことでしょう。それこそ ≪ be men for others ≫の精神でCOVID-19と戦っている医療従事者に対して、フライデー・オベーションだけでなく、未曽有の混乱に対処できる備えはどうあるべきだったのか、効率優先で医療や保険の予算を削っていては危機に備えることなどできないのではないか、医学のみならず様々な基礎研究が短期に成果を出さないという理由で追い詰められていく社会で果たして良いのか、そういったことをきちんと議論することが〝真の感謝″になるはずです。

見直しの時を迎える社会

人間が繁栄することばかり考えて発展してきた現代社会はCOVID-19によって大改革を迫られていますが、動物・植物から微生物・細菌・ウイルスまで地球上のあらゆるものと太古の昔から共存してきたことをよく理解して、人間中心の世界観を変えてゆく必要があります。生物の多様性こそが豊かな世界の証しであること、そしてその視点で地球環境の保全を考えることも大切でしょう。また、声高に叫ばれている「アフターコロナの世界をどう生きるか?」について、COVID-19がもたらした危機を思考転換のチャンスと捉え、学校の在り方や都市型・密集型の社会の見直しも急がなければなりません。学業成績を上げることだけが是とされる学校は方向が間違っていないか。利潤の多寡だけが重要視されて働く人がないがしろにされる会社はどこかおかしくないか。効率的であることが余りに強く求められると大切にすべきものが見えなくなってしまわないか。そんなことをもう一度考えるべき時を迎えているように思います。

この半年で私自身の日々のリズムも大きく変わりました。これから生活様式や社会・経済システムが様変わりする新しい日常において、自分らしさとは何かを明確に意識し、人間本来の優しさを失わないようにしなければと肝に銘じているところです。


ページトップへ戻る↑